流れよわが生身よ、と軽快に言った
「うー、く・苦しい・・・」
うまかっちゃんのうめき声とギシギシとタイヤチューブのきしむ音がします。
「早くどいて、どいてぇ」
浜ちゃんが慌てているのか楽しんでいるのかなんとも判断できない叫びをあげました。
「そんなこといっても動かないんだもん」
ノリコさんが、あきらかに楽しんでいる声を発しました。
私はというと、「さぁって、どうしようかな？」と無言で思案中です。
ここは歴舟川の上流、坂下堰堤から流れて数分のところです。
岩と岩にはさまれた狭い水路に、４人がそれぞれのタイヤチューブに乗ったまま重なり合って引っかかっています。
最初に、うまかっちゃんが引っかかりました。
そこに浜ちゃんが突っ込み、私が乗り上げ、ノリコさんがかぶさりました。
どんな重なり方をしているのかよくわからないのですが、水圧で身動きができません。
みんな下流を向いて、息はできています。
下流側に水がないからです。
私たちが人間ダムになって、川をせき止めているのです。
このままでは、人身御供になってしまう・・・・、タイヤチューブの空気が抜けてくれたらいいのに・・・よけいなことに気がつかなければ・・・そう、それは前日のことでした。
「やばいやばい、エムさんのところに戻らなきゃ」
給油に入ったガソリンスタンドで、ついでにタイヤチューブの空気を入れていた浜ちゃんが運転席に戻ってきて笑っていました。
「どうしたの？」
「エア抜け防止のムシがないんだって」
「あぁ知ってる、パンクしたと思ったら、ムシが緩んでいたことがあったよ」
「えむさんの会社に戻ってムシをもらいましょう」
「了解」
夏企画恒例のタイヤチューブ川下りのために、クルマ関係の仕事をしているエムさんの会社でいらなくなったタイヤチューブをもらってきたところです。
その足で歴舟川の下見をした帰り道の出来事でした。
「気づかなかったら、川に入ってから沈んでたねぇ」
「危なかったねぇ」
歴舟川は渇水時期の夏にもかかわらず水量が十分なのです。
数日前に大雨が降ったおかげです。
歴舟川は雨が降ると数日後に増水します。
この週の増水でカムイコタンキャンプ場の川原で遊んでいた家族４人が流される事故が起きました。無事に救助されましたが、ニュースネタになりました。
チャップンチャップンと冷たい水が首筋を洗いました。
振り向くと、水がこの人間ダムを越えようとしています。
水があふれて川の流れが戻ったら私たちはおぼれてしまいます。
真剣に困り始めた時、人間ダムが決壊しました。
ノリコさん、私、浜ちゃん、うまかっちゃんの順に激流の中を流されていきました。
「わー！」
「きゃー！」
「うほほほぉぉ」
「あれー、なんか楽しい！」
タイヤチューブはソロのラフティングみたいなもので、ちょっとやそっとの激流はへっちゃらです。岩にぶつかりながら、大きなカーブを曲がって、軽く落ち込みをクリアしたら、瀞場でした。
「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたよ」
「ちょっと休憩しましょう」
「そうですね」
「いらっしゃいませ」
魅惑的なお姉さんの声に驚いて岸を見ると、ホットパンツからのびる白くて長い足、タンクトップの隆起ムッチリのお姉さんがおいでおいでをしていました。
テントに大きなタープ、こんな上流でキャンプしているようです。
ノリコさんを置いて、男３人はフラフラっと、岸に近づき始めました。
テントの影に強面のお兄さんがちらりと見えました。
（やばい）
男三人が顔をあわせました。
「すみません、先を急ぎますので、また今度」
イルカもびっくりのバタ足ダッシュで、その場を離れました。
「いやぁー、びっくりしたねぇ」
「今のなんだったの？」
「ぼったくりバーの血が騒いだんじゃないの？」
「そうかぁ、仕事熱心だなぁ」
「そうじゃないでしょ！」
しばらくは、谷間を縫うように小さな瀬が続きました。
「いぃぃ、やっほぉぉ！」
「いぃえぇーい！」
瀬の合間には、清らなかな流れにゆったりと乗り、歴舟川を満喫です。
川というのは水が流れているだけでは駄目です。
緑の木々が岸に生い茂り、神々しい山々に囲まれ、飛びかう鳥たちとその鳴き声、そして、元気に泳ぎ回る魚たちがいてこそ本物の川です。
「川の中を見て見て、すっごい大きな魚がいるよ！」
「えっ、どこどこ、ザブッ、ブクブクブク・・・・、ザバッ、わっかんねぇ、ザブッ、ブクブクブク・・・・、ザバッ、いたいたいた！すっげぇ！！」
「て、手づかみできるんじゃないの！もぐろうかな」
「りゅうげん君、ストップストップ！」
「何？」
見ると岸に、一人の男が竿を出して、焚き火を前にギターを弾いていました。なんだかすっごくアナクロです。
昔ながらの孤独を愛するバックパッカーといった雰囲気です。
「すみません」
「とおりまぁす」
いそいそと流れる私たちを見たその男が声をかけてきました。
「ムーミン、ムーミンじゃないか」
「えっ？」
うまかっちゃんと浜ちゃんが自分を指差し、一拍おいてお互いを指差し、ちがうちがうと手を振りました。
「スニフに、ヘムレンさん、スノークのお嬢さんまで、ひさしぶりだなぁ」
「な、何を言ってるのこの人？」
「誰がスノークのお嬢さんですって？」
「今、お湯を沸かすから、コーヒーでも飲んでいけよ」
唖然として流されているうちに瀬がきて、私たちはあっという間に流され、その男は姿は見えなくなりました。
「もしかして・・・」
「今のは・・・」
「スナフキン？」（みんなでハモって）
今回のタイヤチューブは坂下堰堤から相川橋までの約１０キロです。
ちょっとした瀬と瀞場が交互にきて、とても楽しいです。
またまた瀬を越えていると、エディに入ってしまいました。
エディとは、岸辺の窪みの流れが止まるか逆流しているところです。
カヤックならパドルの一漕ぎで流れに戻れるのですが、タイヤチューブはそうは簡単に行きません。
３人に置いてきぼりです。
一所懸命にバタ足をしても、本流に押し出されてしまいます。
仕方なく、タイヤチューブを肩にかついで岩に登り、崖を回って本流に戻り３人に合流しました。
コースも中間地点になると、川原が少しずつ広がってきました。
ぼけっと流れていると岸に若いカップルがいました。
向こうにテントが見えます。こんな所でキャンプです。静かでいいかも。静かでいいかも！
女性がにこやかに手を振っています。
私も手を振り替えします。
この二人はごくごく普通の人たちのようだったので、休憩をかねて上陸しました。
「どこからスタートしたんですか？」
女性が目をきらきらさせて聞いてきました。代表の浜ちゃんが得意そうに答えます。
「坂下堰堤のところから始めて、相川橋まで１０キロくらいですよ」
「えぇ、すごぉい、楽しそうですね」
「楽しいよぉ、瀬を越えるのもちょっとスリルがあるけど、まぁ安全だしね」
「私たちも、こんな人気のない所にキャンプしにきたのはいいけど、これといって遊ぶことがなくて退屈してたんですよ」
男性が、その言葉にちょっとカチンときたらしく、
「オートキャンプ場なんてキャンプじゃないっていうからここを探してきたんじゃないか」
「だからって、遊び方を何にも知らないじゃないの！この役立たず！」
「そ、そんな言い方はないだろう！キャンプしたいというから一所懸命に準備してきたのに！」
「まあまあ」
慌てて仲裁に入りました。
「何もしないで、ぼーっと自然の中でゆっくりするのもキャンプですよ」
「そうそう、都会の喧騒を忘れてね」
「そうかなぁ」
納得していただいたところで、さっさと退散です。いやぁ空気が悪い。
「じゃあ、私たちはこの辺で流れに戻ります」
「さようなら」
「さようなら」
浜ちゃんが親切なつもりでとどめの一言を、
「このあたりはヒグマが出るからから気をつけてねぇ」
「そんな危ないところに私を連れてきたの！」
「ヒグマなんてそんなに出ないって！」
「危機管理ゼロね！」
「何でもかんでも甘えてんじゃないよ」
「なによ、お情けで付き合ってあげてるのがわからないくせに！」
「なにぃぃ！」
遠ざかる罵り合いは、瀬の音にかき消されました。あの二人がその後、どうなったのかは存じません。
少し大きめの瀬を越えると、木々の枝がいくつも折り重なって川面に張り出していました。
川の真ん中を通ればいいのですが、コース取りが思うにいかないタイヤチューブです。
枝の下をくぐりぬけることになりました。
手で枝をはらいながら流れていきましたが、最後に太めの枝をはらうときに力をこめたら勢いでひっくり返ってしまいました。しかもけっこう深くて、頭の先まで沈みました。
「きゃははは、りゅうげん君、ちーん！」
「わはははは」
「はははは」
アップアップしながら、タイヤチューブにつかまり、エイッと体を持ち上げようとしたら、手で押さえたところを支点にタイヤチューブが持ち上がり１８０度回転して、私の上にかぶさりました。またまた頭の先まで沈みました。
「きゃははは」
「わははは」
「あ、あれは砂金堀りの人ですね」
「ほんとだ、採れますかぁ？」
砂岩質の岩があらわれてきたら砂金掘りのポイントです。特に大雨が降った後は大きな砂金がとれるそうです。
砂金掘りのおじさんは一人でもくもくとザルで砂利をこしています。
麦わら帽子を深くかぶって顔がよく見えません。
「私のさがしていのは正確には砂金じゃないんです」
「えっ？」
「友達です」
眉をひそめる私たち、（また変なのが出てきたよ）
流れにまかせてゆっくり遠ざかりかけたとき、うまかっちゃんが叫びました。
「あっ、川底にでっかいキラキラする塊が！」
ザブンと川底にもぐったうまかちゃんが手に取ってきたものは、確かに大きな金の塊でした。
「す、すごい」
みんなタイヤチューブから飛び降りて、うまかちゃんのところに集まりました。
「い、いくらくらいになるんだろう」
みんなの目の色がかわりました。
すると、うまかっちゃんの手のひらの上の金の塊がモゾモゾと動き出しました。
「うわっ！」
うまかっちゃんが放り出した金の塊は、空中で羽を広げて、私たちの頭上で円を描いて飛び回り始めました。
「こ、こうもり？」
「金の・・・こうもり？」
こうもりは、砂金掘りのおじさんの頭の上にとまりました。
とたんに、おじさんの体がまぶしく光り輝き始めました。
ゆっくりと立ち上がったおじさんの顔を見た私たちは言葉を失いました。
ガイコツでした。
「わははははははははははははははははははは」
「わははははははははははははははははははははは」
「わはははははははははははははははははははは」
「わはははははははははははははははははははは」
「わはははははははははははははははははははは」
「わはははははははははははははははは」
「わははははははははははははは」
おじさんは、けたたましく笑いながら、空の彼方に消えていきました。
タイトル元ネタ
『流れよわが涙よ、と警官は言った』 フィリップ・K・ディック
大人気のテレビタレントが、見に覚えのない場末のホテルで目を覚ますと、自分を証明するデータがすべて消え、家族や知人の記憶からも消えていた、そしてなぜか警察に追われる身に・・・、ディックお得意のサスペンスと自分探しのＳＦ
（ハヤカワ文庫）
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